現代では、チョコレートはとても身近なもので、
安価なものから高価なものまでバリエーションがあり、手に入れるのは簡単ですよね!
では、チョコレートって、大昔はいったいどんな食べ物だったんでしょう?
今のチョコレートになるまで、一体どんな変化をして現在のおいしいチョコレートに至ったのか?
今回はチョコレートの歴史について詳しくまとめてみました!
もくじ
紀元前のチョコレート
出典:acure Lounge『紀元前には神への捧げものだった?!愛されスイーツ〈チョコレート〉の歴史』
チョコレートのはじまりって、いつなんでしょう?
紀元前にチョコレートって、あったんでしょうか?
ミケ
リスはかせ
シロ
チョコレートの歴史は、原材料であるカカオの栽培が始まったことで、幕を開けます。
メソアメリカでカカオの栽培が始まった
カカオ栽培が始まったのは、メソアメリカ(現在のメキシコ中央・南東部・グアテマラなど中央アメリカの一部)と言われています。
オルメカ文明(紀元前1,200~)の時代から栽培されていたことが、グアテマラのリオ・アスール遺跡や、
マヤ文明(紀元前2,000年~)の時代から栽培されていたことが、アステカ遺跡の土器、壁面などから判っているそうです。
紀元前2,000年頃からチョコレートの歴史は始まっていたんですね!
カカオ豆は通貨だった
カカオを最初に扱い始めたのは、メソアメリカに栄えたオルメカ族と言われています。
オルメカ族が姿を消した後、その地域に住むようになったマヤ族によって、大規模なカカオ豆の栽培が行われるようになり、
神への捧げものとしてカカオに血に近い色にするためにアチョーテと呼ばれる赤い食染料や、
スパイスをふんだんに使ったカカオドリンクを作るようになったんです。
この飲みものは、王や司祭、貴族によって儀式に使用されていました。
マヤ族がいなくなった後に現れた、トルテカ族、アステカ族にもこの聖なる飲みものは引き継がれ
アステカ族の言葉であるナワトル語で『xocolatlショコラトル(xococ=苦い、酸味)( atl=水、飲み物)』
と名付けられたそうです。
リスはかせ
アステカ族は、この苦い飲み物を「知識やエネルギーの源」、そして媚薬や香油として利用しました。
当時、カカオ豆はとても貴重なもので、通貨としても用いられ、カカオの皮に灰を詰めた偽物まであったんだそうです。
通貨として利用されていたカカオ豆を所有することは、究極のステータスシンボル=お金持ちだったというのですから、
カカオ豆には昔から特別な魅力があったんですね?
コロンブスがカカオに遭遇する
イタリア人の探検家、クリストファー・コロンブス(1451年~1506年)が、アメリカ到着したのは有名な話ですが、
なんと、チョコレート史にも名を残しているんです!
では、コロンブスとチョコレートにどんな接点があるんでしょうか?
コロンブスがチョコレートとの関りを持った前後の流れをまとめてみました。
エイリ
リスはかせ
今までの行いから逮捕され、信用をなくしてしまったコロンブスは、
その後1502年に第4次航海した時には古い船4隻しか借りれず、
“パナマ辺りまで行くも結果的に難破し、救助されてスペインに帰って来た“と言われています。
チョコレートの歴史だと、この時、ホンジュラス近辺まで来ていて、カカオの種子を入手し、スペインに持ち帰ったとか、チョコレートを食べたけど苦くてスパイスが効きすぎてると感じたなどと言われています。
ミケ
一説では、アメリカ到達した時にもカカオ豆を見かけたけど、アーモンドと勘違いしたという話もあります。
どちらにしても、もったいないことに、コロンブスはカカオ豆と出会ってはいたものの、その貴重さに気付けなかったんですね。
エイリ
リスはかせ
コルテスとカカオ豆
出典:acure Lounge『紀元前には神への捧げものだった?!愛されスイーツ〈チョコレート〉の歴史』
スペインの探検家エルナン・コルテス(1485年~1547年)もチョコレート史の中でも重要な人物です。
1519年にコルテスは、アステカ(現在の北米、メキシコ中部)に到達、侵入に成功します。
チョコレートドリンクをスペインに持ち帰る
1528年、コルテスはカカオやチョコレートドリンクをスペインに持ち帰ったチョコレート史の中でも重要な人物です。
チョコレートを栽培し、神の飲みものとしてカカオを大事にしていたアステカ王国を滅ぼした人物でもあります。
コルテスは、アステカ帝国の皇帝モクテスマ2世が帝国一、カカオ豆を所有し、カカオ豆を大事にしていた様子を見て
“アステカ帝国にとって、カカオは粉にして売られていて、貨幣としても用いられ、大変珍重されている特別なものだ”
とスペイン国王カルロス一世に、アステカ帝国でのカカオの有用性を報告していたんです。
スペイン人が、初めてカカオの利用方法に関心を示したんですね、
戦利品のひとつとして、カカオ豆とチョコレートを作る道具をスペインに持ち帰ったと言われています。
シロ
チョコレートが薬から嗜好品に!
アステカから伝わったチョコレートは薬のような飲みもので
カカオ豆を乾燥させたものを炒って、殻を取り除いたあと、平石臼に入れてすり潰したものを
少しづつ水で溶かし、唐辛子やコショウ(チリペッパー)、とうもろこしの粉、アチョーテ(食紅)、バニラなどのスパイスを加え、
泡立てて飲むというスタイルだったんです。
この味が、スペインの人々には口に合わなかったようで
1522~1524年頃には、スペインに砂糖が入ってきていたので、
チリペッパーの代わりに、砂糖を入れ、より飲みやすく変化させたと言われています。
この時点でチョコレートは薬ではなく、嗜好品に変化しました。
甘い飲みものに変貌したショコラトル(チョコレート)は上流階級の人々に歓迎されたそうです。
この頃、スペインに輸入されるカカオは少量であった為、
スペインでもチョコレートを味わうことができるのは王族、貴族、上流階級の人々に限られていました。
その後、1526年赤道直下の植民地トリニダード島に建設された土地でカカオの栽培をしながら、
スペインは1世紀近くチョコレートの発見を、他国に知られないよう隠していたと言われています。
リスはかせ
カカオ豆の秘密が流出
出典:acure Lounge『紀元前には神への捧げものだった?!愛されスイーツ〈チョコレート〉の歴史』
長い間、門外不出の秘密のようにチョコレートの発見を隠してきたスペインですが、徐々に力がなくなってきたことにより、
ある頃からヨーロッパ各地にチョコレートの存在や作り方が流出していきました。
カカオ栽培も、スペインだけの専売特許ではなくなっていったのです。
ポルトガルへ
スペインのカルロス1世の次の王のフェリペ2世はポルトガルを併合して、両王を兼ねた為、
ポルトガルにも上流階級の間でチョコレートが普及するようになりました。
イタリアへ
1606年イタリアの商人アントニオ・カルレッティがこの製法を知ったことで
イタリアのトスカナ大公にチョコレートの存在や、作り方が献上されました。
フランスへ
1615年には、スペインのアンヌ・ドーリッシュ王女がフランスルイ13世と結婚した時に
チョコレートがフランスの上流階級に飲むチョコレートが広がりました。
イギリスへ
1655年に、イギリスがジャマイカ島をスペインから奪取したことで、
ジャマイカ島で栽培されたカカオがイギリスに入って来るようになり
コーヒーハウスでチョコレートドリンクも飲めるようになりました。
1657年、フランス人店主がロンドンで初めて開いたチョコレートハウスの広告では、
万病の治療予防に効果があるとうたっていたそうです。
この時代、他の国のチョコレートドリンクは、一般市民には手が届かないものでしたが
イギリスでは高価であったものの、裕福であれば飲むことが出来るものでした。
チョコレートと薬剤師
もともとチョコレートは薬のような飲みものだったことから、
ヨーロッパ各地に「健康にいい!おいしい!お高い飲みもの」として広がったようです。
薬と関連性があったからか、チョコレートの歴史には度々薬剤師という職業の人々が登場するんですね。
元薬剤師が、歴史に名を残すショコラトリーを開業した例もあるんですよ。
王室御用達ショコラトリー『ドゥボーヴ・エ・ガレ』は薬剤師だった
例えば、現在も大人気のパリで一番の老舗と呼ばれるチョコレート店『DEBAUVE & GALLAISドゥボーヴ・エ・ガレ』は
フランス国王ルイ16世紀の王室薬剤師のSulpice Debauveスルピドゥボーヴ(1757-1836)がフランス革命(1789-1799)後、
1800年にパリ西岸にチョコレート店を開いたことで始まりました。
1779年、マリーアントワネットに処方した薬が「苦いから飲めない。」と言っていたことと、
「ウィーンのホットチョコレートはおいしかったな。」と言っていたことで
「Pistolesピストル」と名付けられたチョコレートが誕生しました!
ピストルは、当時古金貨を意味していて、
苦い薬をチョコレートでコーティングしたものだったそうです。
現在も「Pistoles de Marie-Antoinette王妃のピストル」という商品名で愛され続けていますが、
1799年にマリーアントワネットが食べたものと全く同じかどうか記述されているものは見つけられませんでした。
1816年にはブルボン王室、シャルル10世、ルイフィリップ王の御用達に!
1823年に甥っ子の薬剤師Jean-Baptiste August Gallaisジャンバチストオーギュストガレを招き入れて一緒にチョコレートを開発しました。
ジャンバチストオーギュストガレは、カカオの研究をするために中南米へ行き、カカオのスペシャリストになって帰って来たんです。
二人の名前を合わせたのが現在の店名『DEBAUVE & GALLAISドゥボーヴ・エ・ガレ』なんですね。
始めたのも、共同開発したのも菓子職人ではなく、薬剤師さん。
なのでドゥボーヴ・エ・ガレのこだわりは“美味しくて、健康に良い”こと。なんだそう。
同時に“チョコレートは治療中の患者に与えると良い”と推奨し、
食事治療に取り組む医師たちの注目を集めたんだそうです。
ドゥボーヴ・エ・ガレは、チョコレート店を開業していたけど、ショコラティエであり、ずっと薬剤師さんでもあったんですね。
ミケ
チョコレートに描かれている数字は、カカオのパーセンテージです。
72%~99%と高カカオチョコレートですね。
エイリ
チョコレート4大革命が起きる
18世紀に入ると、『チョコレート4大革命』が起きます!!
「この革命なしに、現在のチョコレートはありえない!」と言えるほどの
とても大きな変化が起きたんです!
なにやら聞き覚えのある名前がチラホラ見えて来ませんか?
1項目づつ、詳しく説明していきますね。
ココアバターの搾取技術の開発
今もココアパウダーで有名なオランダ人の化学者Van-Hautenヴァン・ホーテンが油圧式の圧搾機を開発したことで、こんな変化が起きました。
- カカオ豆に55%含まれているココアバターを28%くらいまで減らす事に成功!
- それまですり潰すのが大変だったカカオマスを粉末状にした。
- さらにアルカリ処理することで、苦みを抑え、水に混ざりやすく、色は茶色に!
- 誰でも簡単にお湯に溶けやすいココアパウダーを作る事に成功しました。
この技術が出来るまでは、砂糖を入れた甘いチョコレートドリンクは、ココアバター(カカオにふくまれる脂肪分)が丸ごと入った、
水なしでは飲めないほど、とっても濃厚な飲みものだったんです。
シロ
ミケ
リスはかせ

食べるチョコレートの発明
1847年にイギリスのジョセフ・フライによって、固形のチョコレートを発売したと言われています。
それまでチョコレートといえば、飲むチョコレートが主流でしたが
食べるチョコレートを発明して広めたんですね。
ジョセフ・フライはココアパウダーにココアバターと砂糖を加えることで苦みを抑えて
冷やすと固まり、型抜きも可能で、口の中では溶けるという固形チョコレートを開発、販売しました。
しかし、この固形チョコレートは苦いものであったと言われています。
シロ
ミケ
ミルクチョコレートの開発
1819年、スイスではルイ・カイエが旧粉ひき場を改造して作られた、世界初のチョコレート工場が操業を開始し、
スイス最古のチョコレートブランド『Caillerカイエ』が誕生します。
カイエはイタリア、トリノで4年間製菓修行し、スイスに帰国した際にチョコレートを固形状にすることに成功した人物なんですが、
カイエの娘の夫となった人物Daniel Peterダニエル・ペーター(1836~1919)が、ここでは重要です!
ペーターはもともとはロウソクの製造業をしていましたが、オイルランプの普及がきっかけで売り上げが落ちたことで転職することになりました。
転職先は妻の実家!チョコレートを作り始めることなったんです。
そんなペーターの近所に住んでいたのがドイツ人移民で、粉ミルク製品を開発したHenri Nestléアンリ・ネスレ(1814~1890)!
そうなんです、ペーターは「アンリの作る粉ミルクをチョコレートに混ぜればもっと食べやすく、おいしくなるんじゃないか?」と思いつくんですね。
しかし、粉ミルクを混ぜるとカビが発生する、という問題が起きてしまったんです。
そこで諦めず、カビの原因である水分を取り除く研究を重ね、1875年にようやく出来上がったのが、
コンデンスミルクを混ぜて作ったミルクチョコレートだったんです!
それまで、固形のチョコレートは苦味が強かったため、
ペーターが作ったマイルドな味のミルクチョコレートはヨーロッパ中で大ヒットしたと言われています。
エイリ
「単独で開発したという資料がある」という説もあるそうです
シロ
エイリ
レフィナー・コンチェの発明
Charles-Amédée-Kohlerシャルル・アメデー・コーラー(1790~1874)というチョコレート職人の弟子として働いていたのが
コーラーの遠縁の親戚で、薬剤師の息子のRudolf Lindtロドルフ・リンツ(1855~1909)。
チョコレート作りの修行を終えたロドルフは、ベルンに戻ってきて1879年に旧式の機械を揃えたチョコレート工場をつくりました。
その頃の固形チョコレートは、味は甘くておいしくなったものの、
食感が硬く砂のようにざらざらとして、何度も噛まないと飲み込めないものだったんです。
ロドルフは滑らかで味わい深いチョコレートを作りたいと試行錯誤を繰り返しましたが、全くうまくいかず、
チョコレートの塊の上に白い層ができてしまったり、失敗続き。
そんなある金曜日、ロドルフは機械の電源を消すのを忘れて帰宅してしまいました!
週末の間、機械はずっと稼働し続けた結果、
週末明けの月曜日、工場に出勤したロドルフは驚くべき光景を目にしました。
チョコレートは機械が稼働し続けたことで焦げているかと思いきや、
なんとキラキラと光る滑らかでいい香りのチョコレートが出来上がっていたのです!!
そのチョコレートを食べてみると、今までにない、口の中でとろけるまさに理想の食感でした!
ロドルフは、今までだれも考えつかなかった、チョコレートを練り上げる工程=コンチェ(コンチング)を発明したのです。
この発明によって、チョコレーに今までなかった口溶けや香りというおいしさが加わり
それまでのざらざらとした舌触りのチョコレートの概念が一変したんですね。
これは、すごい発明です!
ミケ
リスはかせ
エイリ
ミケ

19世紀以降のチョコレート
18世紀の『チョコレート4大革命』で、よりおいしくなったチョコレートは、
職人が作る小規模なものから大量生産へと移り変わっていきます。
スイスのネスレ社、リンツ社、イタリアのフェレロ社、イギリスのキャドバリー社、アメリカのハーシー社、
などの買収を繰り返しながら巨大化した大手チョコレート企業が誕生しました。
しかしながら、フランスやベルギーなどのショコラティエが独自性や伝統的な手法を守りながら作る高級チョコレートは大変人気があり、
現在その販売方法は2極化していると言えます。
まとめ
チョコレートの歴史をまとめるにあたって、
調べるほどに悩んでしまい、途中で何度か『挫折』という文字が頭をよぎりました。
なぜなら、年号や伝わり方がバラバラ(諸説ある)だからです。
日本史の出来事も、昔と今では教科書に書いてある年号や出来事の内容が変わったりすることがあるように
チョコレートの歴史も、あいまいな部分が多々あるようです。
今回、私が調べた中で一番多い説を選んで時系列に紹介しましたが
国によって伝わり方も違うのかもしれないので、だいたいの流れとしてご覧いただければと思います。
たとえば、記事の中では、ミルクチョコレートはダニエル・ペーターが作ったと書きましたが
“チョコレートにミルクを合わせたのは、イギリス人のスローン郷である”とか
最初に食べるチョコレートを発見したのはイギリス人のジョセフ・フライと書きましたが
“ヨーロッパで飲むチョコレートが流行った時に、イギリスのパン屋たちがケーキのレシピにココアを加えたことで、はじめてチョコレートが固形になった”
という話もあったりするんですね。
年号は書かないと歴史の流れがわかりにくいので付けましたが、おおよその年と考えていただければと思います。
厳密ではないのでご了承ください。
なにはともあれ
どの時代も、多くの人々がチョコレートを放っておかない。
もっとおいしいチョコレートが食べたい!
そんな声が聞こえてくるようで、なんだかんだ最後まで調べてしまいました。
これからもおいしいチョコレートが沢山食べられるサステナブルな世の中でありますように。
